ミューザ川崎

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はるか昔から情報のクロスポイントだった「川崎」

古くは日本書紀にその地名がある川崎。さまざまな歴史の舞台を飾ってきたこの街には、独自の気候風土が育んだ個性的な風情が今も漂っています。特にその名を全国に知られるようになったのは江戸時代以降のこと。当時の幹線道路だった東海道に位置した川崎は、まさに東と西、商人と職人、技術と知性が交差する昔ながらのクロスポイントでした。

川崎の街並み
かつての宿場町「川崎宿」は先端のテクノロジーシティ?

徳川家康が江戸幕府を開いた際、国家を統一するためになによりも優先したのが、参勤交代を円滑に進めるための五街道(江戸日本橋を起点とする東海道・中山道・奥州道中・甲州道中・日光道中)の整備でした。なかでも日本橋と京都をつないだ東海道は、江戸時代最大のメインストリートとして、たいへんな賑わいを見せたといいます。
品川と神奈川の中間点に位置する川崎の前身「川崎宿」は、これを発端として大きな成長を遂げはじめます。折りしも、近隣の多摩川や荒川などの治水改修に実績をあげた川崎宿の名主・田中休愚喜古(きゅうぐよしひさ)や、和製砂糖の生産と製法技術の普及させた池上幸豊といった地元先人たちの功績や、高い技術が求められる和唐紙製造、御用紙製造所、醤油生産など、当時の最先端のテクノロジーがこの地で開花したため、いつしか川崎は職人色の強いハイテクシティとしての色合いを濃くもつようになったのです。

上空から望む川崎
そして今、川崎は世界のクロスポイントへ

明治5年(1872)、川崎駅が誕生。この地に集積された高度な技術は時の軍需産業を支え、以後、日本を代表する重化学工業への応用へと受け継がれます。戦災によって大打撃を受けた川崎市ですが、その後の驚異的な復興を遂げ、昭和47年(1972)には政令指定都市に指定される大都市へと変貌します。
現在、さまざまな業種の産業が活力をもって存在。集積された生産機能や物流拠点としての機能をさらに生かすための新たな振興の創出や、魅力に富んだ個性ある地域商業の活性化が図られています。
ミューザ川崎は、そんな街のポテンシャルとニーズから誕生した、「国際環境産業文化都市、川崎」にふさわしい新しいクロスポイントなのです。

川崎駅前ターミナル
ミューザ川崎外観
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